ちょい若おやじの映画と読書の記録

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"Words can't describe how it feels flying through an aurora. I wouldn't even know where to begin..."

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映画レビュー#44 山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日 [邦ドラマ]

2014.12.18 (Thu)
tirashi.jpg
2014年12月17日 「神奈川披露試写会」関内ホールにて鑑賞
[説明]
公開:2014年(日本) 
*全国一部地域の映画館、上映会開催予定(長野2014年12月6日先行ロードショー)
上映時間:102分
監督:山田火砂子
脚本:和田登、来咲一洋、山田火砂子、中村敦夫
原作:和田登『望郷の鐘 中国残留孤児の父・山本慈昭』(しなのき書房、2013年)
出演:
内藤剛志 ― 山本慈昭
渡辺梓 ― 山本千尋(慈昭の妻)
山口馬木也 ― 依田義彦(新聞記者)
市川笑也 ― 原田宗之、奥寺康彦 ― 半田孝海、李麗仙 ― 山本きぬ
星奈優里 ― 山本冬子(周麗華)、上野神楽 ― 山本冬子(幼少期)
斎藤洋介 ― 畑山忠吉、小倉一郎 ― 安二郎、磯村みどり ― マーメイ
勝又さゆり ― 夏目久美子、神田さち子 ― ソ軍通訳、松澤大輔 ― 大澤義助
堀内正美 ― 堀越英介
常盤貴子 ― 美奈子先生
音楽:後藤やすこ
製作:現代ぷろだくしょん

公式HP:望郷の鐘(現代ぷろだくしょん)

出典:フライヤー、公式HP「キャスト・スタッフ」より

[あらまし]
山本慈昭は、長野県下伊那(しもいな)郡会地(おうち)村(*1)にある長岳寺の住職であり、国民学校の先生であった。
1945年5月1日、慈昭は村々の村長から「満蒙開拓団(*2)」として「『阿智郷満蒙開拓団』の教師として一緒に満州に行ってくれ」という依頼を引き受け、妻と幼い娘2人とともに「満州」の開拓地であった北哈嗎に向かう。
「満州には食べ物もいっぱいで広大な土地ももらえる」「大日本帝国が嘘をつくわけがない」と嬉しそうに噂する村民たちであったが、実際はそうではなかった。開拓地の村は焼失しており、慈昭たちは村の再建からはじめることになった上、食糧も十分とは言えない状況であったのだ。
1945年8月9日、「ソ連軍が侵攻を開始した。」その一報を受けた慈昭たちは北哈嗎から逃げ出すのだが、期待していた関東軍が自分たちを待っているなどということはなく(むしろ関東軍は自分たちが逃げるために橋を落とし、慈昭たちは他のルートを通らざるをえなくなる)、慈昭たちは仲間が一人また一人と倒れていく中、とうとうソ連兵に捕まってしまう。
「16歳以上の男子(おそらく数え年だろうが、そこは本編では不明)」は全員シベリアへと送られる。家族と離ればなれになってしまう慈昭であったが、わずか1年半で帰国を許され、慈昭は帰郷する。しかし、妻と娘2人は死んでしまったと告げられる。
慈昭は「いつまでも悲しんでいてはいられない」「亡くなった仲間たちの辿った運命を記録に残そう」と『阿智村・戦没者名簿』の作成に着手する。そのころ、慈昭は天台宗・半田大僧正が「長野県日中友好協会会長」を引き受けるという話を半田大僧正から聞かされる。そして大僧正から平岡ダム建設のため日本に強制労働として連行された中国人たちがそこで殺されたということを聞く。慈昭はその死んでいった中国人の遺骨をすべて中国本土に還す運動をはじめる。
そして遺骨を中国本土に還した1年後、慈昭のもとに「中国残留孤児」から一通の手紙が届く。
「死んでいる(とされている)子供たちは生きているかもしれない」」と慈昭は中国残留孤児の捜索をはじめる…
(文責・管理人)

*1
現在の長野県下伊那郡阿智村。「wikipedia会地村」によれば、自治体の変遷課程においてもしばしば登場する「阿智村」は、「阿智郷満蒙開拓団」や慈昭の『阿智村・戦没者名簿』にあるように、当時もまた「阿智村」としての名称もまた、「会地村」として合併されていた1945年当時にも使われていたようだ。

*2
満蒙開拓団についての詳細を管理人は知らない。1932年-1945年の間に存在した「満州国」での農地開拓移民として募集された開拓団である、という認識を持っている。従って、その移民動機についての詳細やどの都道府県からの移民が多かったのか、どのような募集の回路が働いていたのか等々、知識は乏しい。


[レビュー]
とある所から本作の「神奈川披露試写会」のチケットを譲り受け、関内ホールにて鑑賞。
当日は、本作の監督である山本火砂子氏が舞台挨拶を行った。
本作のレビューをはじめる前に、その舞台挨拶で語られ、フライヤーでも書かれていた山田火砂子氏の映画への想いを、フライヤーより引用しておく。

 満州国とは、日本が中国の東北地方に建てた傀儡国家で、1932年から1945年まで存在しました。この映画のテーマ『国家が総力を挙げて作り出した大きな嘘は、いつの時代でも見破るのは容易ではない。そして、それに従った開拓団も義勇軍も客観的には侵略者であったと言う事実は打ち消せない。国家の政策に純粋に協力しただけと言っても、この事実は一人ひとり(原文ママ)が責任を問われる事になる。国家に尽くした日本国民は、加害者であって被害者であったのです』という言葉です。日本国民は全員手をつなぎ戦争をしない、平和国家を作っていきたいとこの映画を作ります。
                                        監督 山田火砂子


「神奈川披露試写会」用のフライヤーに「製作意図」が書かれてあったので、こちらも併せて参考までに引用しておく。

 三浦綾子原作の『母』という小林多喜二とその母の映画化権を頂いて、この作品を先に撮影するつもりでした。しかし今の日本は秘密保護法案(引用者注=特定秘密の保護に関する法律のことだろう)を成立させ、集団的自衛権も可決されました。だんだんおかしくなっていると思います。日本は第二次世界大戦に負けて二百万人近くの非戦闘員を殺され、日本の主要都市はほとんど丸裸になるように、戦災で灰になってしまった。あれから来年で七十年がたちます。今、生きている方々の中には、戦争に負ける悔しさや辱めなど知らない方が多いと思います。私は、中国残留孤児の父とよばれた慈昭さんの半生を描いて、二度と戦争をしない平和日本をいつまでも守ってもらいたいとこの映画を作ります。

また、[あらまし]の「*2」にも書いたのだが、「満蒙開拓団」についての詳細を知らない管理人から観た本作という位置づけでの鑑賞であったことを書いておきたい。なぜなら、劇中で、慈昭が「中国残留孤児について」という講演会の際に、

 戦争を知らない人は知ってください。
 戦争を忘れてしまった人は思い出してください。


というセリフがあり、管理人はここで言うところの「戦争を忘れてしまった人」ではありえないからである。
つまり、「リアルタイム」での戦争体験者ではない管理人による、しかも、満蒙開拓団に対する知識が乏しいものによる鑑賞であったということである。一方で、当事者でないがために俯瞰して物を見るという機会があるという点で、管理人の視点が有効になるということもあると信じている。
いずれにせよ、生半可な知見であるにもかかわらず、知った顔をして「ああこのシーンは違うんでないのかい?」といった事実検証をしたくない、というものが管理人にはあるので、今回の鑑賞は山田火砂子氏の言うところの「日本国民は全員手をつなぎ戦争をしない、平和国家を作っていきたいとこの映画を作りました」に照らし合わせてどのように映ったのかを中心に述べていくこととする。

従って、今回のレビュー構成は、

 ①山本慈昭和尚
 ②「平和日本をいつまでも作っていきたい」に対してどう映ったか
 ③俳優たち

以上3点でやっていくこととする。

山本慈昭和尚
内藤剛志扮する山本慈昭和尚(以下、慈昭)の存在を恥ずかしくも知らなかった。
当然「中国残留孤児の父」と呼ばれていることも知らなかった。
今回少なくとも多少なりとも慈昭のことに触れ、その功績を一端を知ることとなり、率直に敬意を感じた。
『阿智村・戦没者名簿』の地道な地道な作成作業、政府への抗議という行為に感銘を受けたからである。ひたすらに歩いて調べるのである。体力のいる仕事である。この慈昭の努力があったからこそ、「中国残留孤児」という存在が現れたとさえ思った。エンドクレジットの際に「協力」の一覧が流れるのだが、全国津々浦々、弁護士事務所や博物館、自治会などなど様々な「中国残留孤児」に関する団体や組織が登場していることにも表れているだろう。

また、平岡ダム建設のために強制労働として連れてこられた中国人の遺骨返還の運動をする慈昭の姿にも感動した。映画では、慈昭の経験した出来事と慈昭の転機となる部分によって映画の流れもまた変わっていく。
 
 ・慈昭が「満州」へ行く
 ・ソ連侵攻後逃げる
 ・シベリアへ(1分ほどのシーン)
 ・帰郷し、妻と娘が死んでいると告げられる
 ・『阿智村・戦没者名簿』作成
 ・平岡ダムの遺骨を探し、中国本土へ返還する運動をする
 ・「日本人孤児」を名乗る女性からの手紙を受け取る
 ・「中国残留孤児」の捜索等をはじめる
 ・満州で離ればなれになっていた畑山忠吉と再会し、長女が生きていると告げられる
 ・大人になった長女と再会する

といった流れなのだが、『阿智村・戦没者名簿』を作成している最中に知ることとなる強制労働の中国人死者の存在を知ったときのシーン、「日本人孤児」と名乗る女性から手紙を受けたシーン、大人になった娘と再会したシーンでの慈昭の態度には感銘を受けた。

慈昭は「日本人だから」や「中国人だから」といったことに囚われることなく、行動するのである。日々のあれこれの中で、忙しくも「阿智村・戦没者名簿」を作成している状態で中国人の遺骨の存在を知り、同時に行動するのである。なかなかできないことだと思った。どうしても優先順位のようなものをつけてしまいそうである。つまり「日本人」むしろ「同郷」の足取りをしているときに「中国人」遺骨に出会ったとして「遺骨を中国に還さないと」と思ったとしても前者を優先させてしまいそうなところである。しかし、慈昭は違うのである。そこに慈昭が命を平等に捉えているように管理人は感じたのだ。
もちろん戦争責任として中国人労働者の遺骨を還すことが大前提のことだと主張されるかもしれない。ただ、ここで言いたいのは、慈昭という一個人が黙々とそれを「行う」ということである。「言うは易し、行うは難し」だと思うが、その第一歩を踏み出すということの困難さを少しずつでも行うところに感銘を受けた。

映画の最後には、遂に長女と再会を果たすのだが、その時長女は日本語がおぼつかないのである。なぜなら、幼い時に「中国残留孤児」となった彼女は中国人に育てられ、その環境で育ったので日本語の大半を忘れているのである。また、その「孤児」となる際の唐突さ、つまり、生き別れのような状況であったがために、日本の実家の住所や両親の在所含めわからないのである。
鑑賞しながら、長年探し続けた長女と再会した際に「日本語が話せない」という状況を想像していた。
お互いとにかく沢山話したいことがあっても言葉でのコミュニケーションが最初おぼつかないということについてである。もちろん顔をまず見れるということ、そしてその後の交流の回路を開くということといった意味でかけがえのないことであると思うのだが、刹那的にでも父親として娘が娘でないような感覚を抱くようなことがあるのだろうか、と考えていた。再会といっても何十年も経っていて、昔のようではないはずである。とりわけ言語というものの不一致はどうしても差異を感じてしまう要素になりえるのではないだろうか。映画的な泣きポイントになっていたのかもしれないが、長女が慈昭の口癖を思い出すシーンが用意され、そして慈昭と長女が微笑みながらお互いに意志疎通をはかろうとする姿勢が描かれるのである。

慈昭が映画のおわりに長女と一緒に夕日を見るシーンがある。そこで慈昭は「夕日は美しい。誰のものでもない。戦争をしても夕日は手に入れられないのに」といったことを語ったことに対して長女が「中国の夕日も美しい。夕日は夕日を美しいと感じる人のもの」といったことを言い、それに対して更に慈昭が「ああ・・・本当にその通りだな」と感動をするというやりとりがある。ここから感じたのは、慈昭の態度から自分の記憶の娘とは違う存在になったと言わざるをえない娘に対して嫌悪や拒否ではなく、その違いを違いとして認めていて、更にお互い学びあうといった姿勢を感じたということである。
自分のわからないもの、手から離れてしまったもの、言葉の通じないもの、そういった人間社会の「壁」や「境界」とされるもの同士の交流の姿勢を感じたのだ。


「平和日本をいつまでも作っていきたい」に対してどう映ったか
これについては、いくつか思うところがある。監督自身も言っているように、本作を「平和日本をいつまでも作っていきたい」という映画として観るならば本作はどうだっただろうか。いわゆる戦争映画として、とりわけ反戦を訴える映画であれば、当然のことながら「反戦」を伝えるのだろう。その手段として、ひたすら戦場のむごさを描くという意味で『西部戦線異状なし』『プラトーン』があったり、そういったむごい状況における人々の心のつながりを描くという意味で『シンドラーのリスト』『聖なる嘘つきその名はジェイコブ』『グッドモーニング・ベトナム』があったり、その担い手としての独裁者を皮肉をこめて糾弾するという意味でチャップリンの『独裁者』であったりと、とにかく様々な手段を用いて反戦を訴えるのだと思う。
上に映画を挙げながら思ったのは、日本の戦争映画といったものを見ている数が少ないということだろう。
食わず嫌いはポリシーではないのだが、「犠牲としての死」や「愛」が美徳とされるだけの傾向に強いような気がして好んで見ていないのが本音である。
『少年H』は映画も小説も見たが、山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』(辺境社、1999年)のように丹念な事実照らし合わせがあっても、「フィクションとしての少年H」ではなく、「戦争の悲惨さをリアルに描き出した少年H」としての認識が強いように思う。あくまで小説や映画がフィクションであるということが前提であるはずなのに、とりわけ戦争関連の作品には「リアルさ」なるものが追及され「いかにリアルに描くか」に躍起になって制作側も観客側もかまえているように感じるのだが、そこに違和感を感じずにはいられないのである。もちろん、そこで感じる感動や「戦争に反対」という感情は大切なことだと思うのだが、しかしながら、その感動もまた作られたものにすぎないはずである。作られた、というのはその感情が間違っているということを言いたいのではなく、「作られた」という事実そのものを受け止めるかということである。
「一体何に自分自身は感動したのか」「一体何に感動して自分たちは映画を作り出したのか」という問いは置き去りにされ、苦しみや悲惨さ、その中での愛が結合され、ぼんやりと感動して終わる。そしてひとまずの時間を置いたのちには、今度は「現実世界」に戻っていくのである。「戦争はダメだ!」と騒ぎ立てるときは「映画をリアル」として使い、その後自分たちが日常で暮らすときには、まるで映画と自分たちを切り離すかのように「現実世界に戻る」などと表現するのである。自己矛盾のパラドックスを感じずにはいられないのである。

細かいかもしれないが、ここで言いたいのは、映画に「リアル」なるものを求めていないということ、そして、むしろ描かれた事実との違いにはある程度の反応をしたいということである。
細かな事実確認がしたいわけではない。ただし、まるで「リアル」を描いている、といった主張がなされるものについては事実確認をしておきたいというわけである。そうしないと、現実の問題に向かい合うときに、フィクションで描かれたはずのことを現実の問題の解決の方法として有効/無効なものだと勘違いしてしまうと思うからである。

つまるところ、反戦映画や戦争映画と呼ばれるものが様々な手法を使って観客に自分と戦争を考えるきっかけとしての媒介であるところであって、その映画自体に直接の反戦効果はないと思っている。それゆえに、何を考えるのか、というもっとも根源的な部分を大切にしたいのである。

さて、本作の「平和国家を作りたい」において、当然、慈昭の視点から考えていく必要がある。
本作では、血や戦闘兵器といった恐怖は少なかったように思う。また、男女間の恋愛もさほど描かれていない。白人系もあまり登場しない。
本作では、「満蒙開拓団」の募集がどうなされたのか、つまり「騙されて移民をした」ということ。ここであらためて監督山田火砂子氏がフライヤーで語るテーマにある慈昭のセリフから引用する。

 国家が総力を挙げて作り出した大きな嘘は、いつの時代でも見破るのは容易ではない。
そして、それに従った開拓団も義勇軍も客観的には侵略者であったと言う事実は打ち消せない。国家の政策に純粋に協力しただけと言っても、この事実は一人ひとり(原文ママ)が責任を問われる事になる。国家に尽くした日本国民は、加害者であって被害者であったのです


「国家に騙された」ということをただ責任を国家に追及するのではなく、あくまで加害者でもあった自分として過去を眺め、そして、その嘘と呼ばれるものを見破る困難さに対してどうするのか。また、「中国残留孤児」という存在からその孤児たちを中国で育てた・引き取った「中国人」や「確かに関東軍悪いことした。でも私あなたたち日本人を許す。」と玉音放送後に逃亡する慈昭たちが遭遇した「中国人」を描き、「友好」という回路を提示している。
協力や許し、過去を知ろうとすることといったことが反戦メッセージとしては感じられた。

はたしてこれについてはどうだっただろうか。
もちろん、逃亡中にみんながみんな「私あなたを許す」といった「中国人」に出会ったわけではないことは想像に難くない。そしてなぜ孤児たちを引きとったのかについての各戸の考えは多種多様だろう。
また、開拓団の移民の人々の動機としても、「騙された」と思う人もいる一方で「自らの意志で行った」と思う人もいるだろうし、更には「強制された」と言う人もいるだろう。

この映画で語られていることがすべてではないということを踏まえても、なお、本作が管理人にとってやはり光るのは、戦争責任を国家にのみに押し付けていないところである。
第二次世界大戦期におけるナチス・ドイツの野戦郵便から軍人たちが何を考え、何を行い、どこまでイデオロギー的なものに当てはまっていたのか、あるいは、あてはまってなかったのかについて、小野寺 拓也『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」―第二次世界大戦末期におけるイデオロギーと「主体性」』(山川出版社、2012年)や高橋三郎「戦争研究と軍隊研究--ミリタリー・ソシオロジーの展望と課題」(岩波書店『思想』、1974年11月、第605号)でも注目されているのは、当事者としての「ふつうの」国民であったり、「ふつうの」兵士であったりという存在である。
「戦争を知らない」世代の管理人としては、むやみやたらに「大日本帝国が悪かった」や「騙されたほうが悪い」「騙した方が悪い」などと考えることはできないはずである。

さて、ただ一点本作を鑑賞しながら疑問に思ったことがある。慈昭の長女は生き別れになった際、小学校2、3年生くらいの年齢であったように描かれていた。しっかり歌も歌えるし、はっきり物も語る。
「それにしてはなぜ再会した際にあそこまで日本語が話せなかったのか?」
「また、慈昭に連絡が取れないほど自分の出生地を知らなかったのか?」
という2つの疑問が生じたのである。
愚直にも「山本慈昭」とweb検索をかけたところ、「特定非営利活動法人 国際留学生協会」のHPに慈昭のライフストーリーが紹介されていた(「トップ>向学新聞>現代日本の源流>山本慈昭」)。そこによると長女の年齢は4歳であったとのこと。そして、名前も映画では「冬子」であったが、このサイトでは「啓江」になっている。
4歳であったのなら、日本語を忘れ、住所を知らなくても納得がいく。
ということは映画で描かれた満州出発前夜の宴会で楽しげに歌う「冬子」や他の女の子に歌うようにすすめる「冬子」のシーンは本当のシーンだったのだろうか、と疑問を抱く。
また、慈昭がソ連兵によってシベリアへ送られるトラックを追いかけ「おとうちゃーん」と叫ぶシーンはもしかしたらなかったのかもしれない。なぜなら、そこにいた4歳くらいの子供たちがだれもトラックを追いかけず、恐怖におびえる母親に抱きかかえられていたからである。そして4歳の子供に父親が連れ去られるという恐怖を感じ涙を流すというのも若干の疑問を抱く。

「冬子」という名前である時点でもしかしたらフィクションであることを示しているのかもしれない。
ただし、やはり本作ももちろんフィクションなのであって、慈昭の生きた軌跡をありのままにうつしているというわけではないはずである。


俳優たち
内藤剛志は味のある俳優さんだと思う。彼の笑顔や涙、全身での動きなど意気込みや凄みを感じた。
管理人の中で悪役のイメージが強い(おそらく『ゴジラVSスペースゴジラ』を少年期に見たからだろうが)斎藤洋介も本当にすばらしい。
個人的に「おお!」は慈昭の元教え子で慈昭たちより7年ほど早く「満蒙開拓団」としてきていて、精神病になっていた少年を演じていた青年俳優である。この俳優さんの名前がわからないのだが、インパクトは強かった。
この少年がはたしてどの立場で「満州」にいたのかは定かではないし、管理人の証明能力としての知識量はいまだ乏しいので避けておこう。
慈昭の後を継ぐと言っていた義助役の子役も元気があってよかった。
常盤貴子はビッグネームとして出ていたけれど、最後のシーンに少しだけ。
それでもやっぱりインパクトあるし綺麗なんだなあ。

ただ、エキストラの子供たち(舞台挨拶だと、どうも監督のお孫さん含む小学生らしい)が常盤貴子扮する美奈子先生に連れられて「満蒙開拓平和記念館」で社会科見学のようなものをしているシーンはすこーし気になってしまった。
演技としてどう、というわけではなく、彼らの棒読みがもちろん微笑ましくもあり、同時に、舞台挨拶時に監督が「子供たちはみんな映画を観てわからないと言わなかった」と言っていたけれども、セリフを用意しての感想はもう偽物臭(オトナによってつくられた子供の感想)がぷんぷんしてしまった上に、あたかも子供たちの言葉のような演出。まあ、かわいらしかったので・・・。
何なら、その子供たちの中に今風の金髪小学生とか混ぜててほしかったなあ。


おわりに
気づけばかなり長くなってしまった。
久々の更新でいきなり最長記録更新くらいの長い記事になり、溜まっていたブログ欲がでてしまったのか???

そういえば、劇場のチケット販売にいた人(ふつうに話しかけていた)がまさか最初の舞台挨拶で登壇してきて「監督」でしたというのは驚いた。
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コメント

No title
これはなかなかの作品ではないでしょうか。
泣く準備がばっちりできました。(笑)

中国残留孤児をとりあげた映画って、珍しいですよね。
しかも実話!
こういうドラマって、ホントはきっと何万もあるのだと思いますが、
たぶん勇気のいる仕事なんだと思います。

会社のビルの清掃のおばゃんに、
近年中国から引き揚げてきた人がいます。
どういう経緯があったのかはわかりませんが、
いまは日本人の男性と結婚して大宮に住んでいるそうです。
3.11があった後、日本から逃げ出す外国人が続出したので、
それとなく、景気は悪いわ、地震は起こって放射線は漏れるわで、
日本に来なければよかったんじゃないか的なことをふったら、
「それでも、来てよかった」と言っていました。
Re: No title
つかりこさん、コメントありがとうございます。

中国残留孤児、満蒙開拓団が登場するような映画については私はどれだけあるのか把握できていません。
私が知っているのは、『黒い太陽七三一 戦慄!石井七三一細菌部隊の全貌』(1988年、香港)に少し登場するものなら観たことがあるのですが、他では知りません。
映画の中でも、中国残留孤児を見つけること自体が難しいという描写があるのですが、当時のメモなり体験談なりをそもそも集めること自体困難な作業なのだろうと感じました。
それゆえに、本作が山本慈昭という実際の人物、しかも「中国残留孤児の父」という立場で描かれたことは貴重なことだと思いました。

> 会社のビルの清掃のおばゃんに、
> 近年中国から引き揚げてきた人がいます。

中国残留孤児だったのか、その第2世だったのか、それ以前に移民していたのか等々可能性はたくさんあるかと思いますが、「それでも来てよかった」と思うには色々な事情がありそうですね。
確かに、3・11後は私のまわりの中国人も数人帰っていきましたね。
貴重なお話を教えていただいてありがとうございます。
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