ちょい若おやじの映画と読書の記録

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"Words can't describe how it feels flying through an aurora. I wouldn't even know where to begin..."

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映画レビュー#42 コンタクト [洋SF]

2014.11.08 (Sat)

コンタクト 特別版 [DVD]コンタクト 特別版 [DVD]
(2011/09/07)
ジョディ・フォスター、マシュー・マコノヒー 他

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[説明]
公開:1997年7月11日 *日本公開:1997年9月13日
上映時間:153分
原題:Contact
監督:ロバート・ゼメキス Robert Zemeckis
脚本:マイケル・ゴールデンバーグ Michael Goldenberg
原作:
カール・セーガン『コンタクト』(新潮社、1986年、高見浩・池央耿 訳)
Carl Sagan, Contact, 1985, Simon & Schuster
ストーリー原案:カール・セーガン Carl Sagan , アン・ドルーヤン Ann Druyan
出演:
ジョディ・フォスター Jodie Foster ― "エリー"アロウェイ Dr. "Ellie" Ann Arroway
マシュー・マコノヒー Matthew McConaughey ― パーマー・ジョス Palmer Joss
ジョン・ハート John Hurt ― S・R・ハデン S.R. Hadden
トム・スケリット Tom Skerritt ― デイヴィッド・ドラムリン David Drumlin
デヴィッド・モース David Morse ― テッド・アロウェイ Theodore Arroway
ウィリアム・フィクナー William Fichtner ― ケント・クラーク Kent Clark
ジェームズ・ウッズ James Woods ― マイケル・キッツ Michael Kitz
音楽:アラン・シルヴェストリ Alan Silvestri

出典:
エンドクレジット、
wikipedia コンタクト(映画) , Contact (1997 US film) , カール・セーガン , Contact (novel)

[あらまし]
生まれたばかりで母親を亡くし、大好きな父親と2人で仲良く暮らしていたエリー。2人はいつも、アマチュア無線で遠くの人に話しかけていた。そして、2人はいつも空を見上げ、宇宙への興味をエリーは抱いてきた。「地球以外にも人がいるのか?」エリーは地球外生命とのコンタクトができないのかと夢を抱いてきた。いつも父親は「こんなに広い宇宙で地球人しかいなかったら宇宙(スペース)がもったいないじゃないか。」とエリーに言っては、エリーはその地球外生命への夢を抱いてきた。しかし、そんな愛する父親もエリーが幼いときに心筋梗塞で死んでしまう。
それから数10年後。エリーは天文学者として優秀な学者になっていた。しかし、当時の「より社会に還元できる、実現可能なもの」を科学で研究すべきものであるとの主流に反して、地球外生命体とのコンタクトを取ることができないかと地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence , 通称SETI)のプロジェクトリーダーであり、科学界の鼻つまみ者になっていた。それでも懸命に、地球外生命体とのコンタクトを取ろうと、最新鋭のアレシボ天文台に拠点を移し、調査をはじめていた。そこで、エリーは神学者のパーマーと出会う。科学と宗教、これは敵対する考え方なのか?2人はそれでも恋に落ちる。そんな中、科学界からのエリー潰しもあり、再び拠点を移した数年後、遂に、エリーは地球から26光年先のこと座α恒星"ヴェガ"から信号が送られてきていることをキャッチする。
ヴェガ人から送られてきた信号の中身はいったい何なのか?世界中を巻き込み、そして科学とは離れた権力争いに巻き込まれながら、エリーはヴェガ人からの信号を解いていく。そこには、ヴェガへと行くことのできる地球文明よりはるかに進んだ文明による装置の設計図であった。
国家的プロジェクトとして進む装置開発計画の中、エリーはその搭乗員として候補となりながら、その選定委員となっていた恋人のパーマー。
2人が出した答えとは?そして人類はヴェガ人のところへ行くことができるのか?
科学と宗教、この2つの関係を、超文明の地球外生命からのコンタクトから考える、「核の冬」のカール・セーガン原作の実写化。映画化に合わせて、カール・セーガンとその妻アン・ドルーヤン自ら、ストーリー案を作り、それをロバート・ゼメキス監督と練り続けた作品。
(文責・管理人)


[レビュー]
非常に面白い映画である。
宇宙への興味・憧れの点で、管理人にとってはもう十分すぎるほど面白かったわけだが、ジョディ・フォスターをはじめとする俳優たちも好きな人とたが出ており、それだけでも楽しめる。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『グリーン・マイル』に出ているデヴィッド・モースや最近楽しみにしているクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』に出ているマシュー・マコノヒー、何気に大好きなB級映画(?)の『スペース・ボール』や『ハリー・ポッター』シリーズのオリヴァンダー役のジョン・ハート、『アルマゲドン』『エリジウム』などのSFものにも出ているウィリアム・フィクナー。
そして、最近ハマりつつあるジョディ・フォスター。

本作のことは、そのジョディ・フォスターがらみで知った作品なのである。
同じfc2ブロガーで、当ブログのリンクにも貼らせていただいているブログゆらゆら草を運営されている、つかりこさんから紹介していただいたのが鑑賞のきっかけである。
素晴らしく面白い作品を紹介していただいてありがとうございました。

さて、この映画『コンタクト』だが、「宇宙」「地球外生命体とのコンタクト」と壮大な宇宙という舞台が用意されているわけだが、この作品が単なるSF作品の枠を超えているのは「宗教と科学の関係性」を描いているからに思える。
それをカール・セーガン原作及び同氏の映画化への協力から、現実的にありえそうな描写から丹念に作り出しているようだ。

従って、今回のレビュー構成は、

 ①オープニングにはじまるCG映像
 ②宗教と科学 ―エリーとパーマーの関係を中心に
 ③相対性理論、ワームホール ―文系の詳しくないが憧れる理論たちの紹介

以上3点でやっていくこととする。
映画自体への直接の感想は②までであるが、ついでに元来憧れてきた宇宙ネタのうち本作の中でヒットしたことを少しだけ書き残しておくこととする。


オープニングにはじまるCG映像
本作において宇宙の描写、そしてヴェガ人から送られてきたデータから作り出した装置の描写ははずせないところだろう。
それをCGによって描いているわけだが、この描写がかなりいい。
それこそ、最近の『エリジウム』などにはかなわないかもしれないが、十分すごいのである。
宇宙も観たことがなければ、超文明の装置も観たことがない。
ただ、「実際だったらこうなんだろうな」と想像することができるほど、映像にリアルさを感じるのだ。
特に、オープニングの長時間にわたる宇宙の描写は夢が広がる。
地球からはじまり、月、火星、小惑星群、木星、土星・・・と太陽系を超え、様々な恒星群、銀河系、銀河、銀河団、散光星雲、暗黒星雲・・・
とにかく、想像できるかぎりの宇宙をCGによって描いてくれているように感じた。

そして、超文明の装置。
NASA様のスペースシャトル発射などで登場するケープカナベラルに映し出された光景には鳥肌が立つ。
小説を映画化する上で、その営みには「文章の映像化」が避けられない。
DVD付属インタビューによれば、原作者のカール・セーガン、監督のロバート・ゼメキスは、本作の場合、科学の理論として実現可能であることにもこだわったらしい。
何を以てそれをリアルというかは、専門家ではない管理人にとってはチンプンカンプンだが、どうも様々な科学者などにも問い合わせて、ありえそうなものを作り出したらしい。

いずれにせよ、人間の想像力はすばらしいと思う。
SFというジャンルにおいて、頭の中で想像してきたものをCGによって映像化することは夢をかなえる1つの手段のようにさえ思えた。
もちろん、実際に行ってみるのが一番だが・・・


宗教と科学 ―エリーとパーマーの関係を中心に
本作が単なるSFの枠を超えて、管理人にとって面白い作品になった要因にこの「宗教と科学」がある。
とりわけ、アメリカ製作の本作では、キリスト教的世界観の宗教と科学が対立構造として描かれていく。
ただし、ラストに向かっていく上で、「宗教と科学」が完全に相反するものとして描かれないのだ。
神の使者を自負しているような男が自爆テロをするシーンやヴェガへの移動装置の搭乗員選定審査でも「神の存在を信じますか?」など終盤まで「宗教と科学」が対立する構造で描かれていく。
それは同時に、主人公のエリーを科学に、恋人のパーマーを宗教として描かれていく。

科学者としてのエリーはパーマーが感じた「何かわからない神秘的なもの」に対して「それは幻覚かも」とか「勘違い」といった言葉で否定的な立場をとる。
しかし、ラストでエリーが経験した「言葉では表せない光景」に確かにエリーは科学を超えた感動を味わう。

「宗教と科学」は相反するものなのだろうか?
ここで言う対立とは互いの性質にある。
科学というものがすべての真実を解き明かすことにあるとしたら、それは宗教世界において「神の御業」とされるものを否定してしまうことのように思える。
だからこそ、本作では「神への冒涜」などといった言葉で対立構造を示しているのだが、はたしてそれは本当だろうか?
科学というものが純粋に森羅万象を数式で解き明かすことができたとしても、それ自体が「神の否定」ではないと思う。
あくまで否定したのは「人間が考えた神の否定」にすぎないのではないだろうか。

管理人自体は今風の日本人的な(?)無神論者に近いが、宗教というものが「死への対話(物語)」にあるとしたら、神もまた人間が作り出した概念の範疇を超えないものではないかと思う。
ただ、“神”と呼ばれる存在がいないとは言えないはずである。人間が考えた“神”が科学によって否定されたとしても、それはまだ知らぬことをすべて否定したこととは言えないはずである。

本作において、それを科学者エリーと宗教家パーマーは2つの対立ではなく、2つの融合というか歩み寄りを描いているように感じたのである。
一方、エリーの上司で良い所どりをするドラムリン博士やホワイトハウスにいた宗教家、自爆テロを行う宗教家たちとの関係性はこれまでの「宗教VS科学」にとらわれた人々を描いているように感じた。
ドラムリンは、口八丁で本心では神の存在など考えてなさそうな男だが、宗教に対して見下している印象を受けた。
そして宗教家たちは、科学が「神を冒涜」するものであって、否定すべきものであると捉えている印象を受けた。

しかし、エリーたちは少し異なるのである。
確かに、ヴェガ人のもとへ行く経験をするまではエリーはどうしても宗教をないがしろにしていると思う。
エリーは候補者選定査定の最後まで「科学者として神は信じられない」と言うのである。
また、自身が経験した出来事についても相対性理論から周囲に信じられなかったことを説明しようともする。
ただし、その経験で観た光景、そしてその理論の経験から、確かな感動を抱くのである。
そして、最後にパーマーが周囲から信じられていないエリーを「僕は信じます」とインタビューに答えるように、パーマーもまた「ほうらね、エリー。科学ではわからないことがあるだろ。それは神なのだ」とは言わないのである。

もしかしたら、理論的に可能性があるということが実際に起きた時、それを人間は信じられないのかもしれない。
どこで聞いたか記憶は定かではないが、アインシュタインの特殊相対性理論を本当に理解しているのは世界に数人しかいないと聞いたことがある。
管理人自身、文系ではあるが、この理論がどうなっているのか個人的に調べたことはある。そしてその計算式も見たことはある。ただし、それを理解はしていないのである。

そんな理解しがたいことに遭遇したときに「神の御業なのじゃ!」と宗教の枠内で言うのか、あるいは「精神科学から考えて、それは幻覚にすぎない」と科学の枠内におしこめようとするのか、双方は本質的には同じことのように思う。
双方とも、思考を停止しているとも思えるのだ。
よくわからないことに対して、歩み寄っていくという姿勢をエリーとパーマーはやってのけようとしているように感じた。

原作を読んではいないが、DVD付属インタビューによれば、原作者のカール・セーガンは「科学寄り」の立場を主張していたようだ。それをゼメキス監督が偏りすぎないように内容を変えていったらしい。

例えば、最近の「STAP細胞」に関連するところでも「科学=絶対」が誤っていることが露呈したはずである。
というのも、「理研だから」とか「Natureだから」とかそういった言葉が横行していたはずである。「科学」という言葉が言葉として効力を有したことはそれは「科学」とは離れたことであるはずである。
人間が言葉を用いる以上、言葉が力を帯びることは避けられないはずだ。
それを受け入れず「科学は正しい」とするのは誤っているのではないだろうか。
そしてまた、近代以降の縦割り方式の結果、科学もまた細分化が進行しすぎて、すべてを把握できる人間がいないこともまたジレンマではなかろうか。「解き明かすための縦割り」が同時に「それらの知をつなげられない」という現象になっていることもまた事実ではないだろうか。

「科学が全て正しい」とは思わないが、科学の営みはかけがえのないものだとも思う。
そしてまた「宗教」もまたないがしろにするものでもないはずだ。


相対性理論、ワームホール ―文系の詳しくないが憧れる理論の紹介
これは完全に管理人の趣味。
本作にでてきた理論として相対性理論やワームホールがでてくる。

かつて読んだ雑誌『サイエンス誌』(何号だったか忘れてしまったが)で相対性理論についての特集を読んだことがある。
本当に詳しい方に比べれば管理人は全くわかっていない。
だから、あくまで書いてあったことに依拠することだが、時間というものは場所とか移動距離などが関係しているという。
時間という概念は面白い。
本作でもあったように、26光年先のヴェガに行って戻ってくる時間は搭乗者にとっては4年間であるが、地球時間では50年が経過しているという。座標軸においてどれだけ移動したかどうかが時間の経過に関係しているというが、それが(それこそ理論上なのだろうが)可能ならば、時空を超えることができるように思える。搭乗者からすれば46年後の未来に行くことができるということだろうか?


おわりに
いつか宇宙に行ってみたい。
昨今では、かなり可能に近づいてきたのかもしれないが、管理人は死ぬまでに、どこまで可能になっているのだろうか。
有人火星飛行もまた民間企業によって研究されているらしいが、一体どこまで人類は宇宙に進出できるのだろうか。
そして、異星人とのコンタクトは可能なのだろうか。
管理人は、地球外生命体の存在は絶対にいると思っている。ただし、UFOは信じていない。
宇宙空間でも生きていられる生物がいるのならば、どこかにいてもおかしくないはずだと考えている。

映画『スピーシーズ』にも登場したアレシボ天文台だが、地球外生命とのコンタクトは本当に可能なのだろうか?
宇宙の根源、人間はなぜいるのか、そういった問いに対して追及していく営みを大切にしていきたいものだ。

個人的には、大好きな小説家の小松左京の作品を久しぶりに読み返したくなった。
小松左京の短編に「お仲間入り」という作品がある。
これもまた異星人とのコンタクトに成功する人間が描かれるのだが、わずか5頁あまりの短編ではあるが、非常に興味深いラストで終わるのである。
「お仲間入り」(昭和63年7月27日「サンケイスポーツ」掲載)
ちなみに管理人が持っているのは『ホクサイの世界』(ハルキ文庫、2003年)に掲載されているもの。

ホクサイの世界―小松左京ショートショート全集〈1〉 (ハルキ文庫)ホクサイの世界―小松左京ショートショート全集〈1〉 (ハルキ文庫)
(2003/02)
小松 左京

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youtubeより本作の予告編

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コメント

No title
やー、さっそくご覧になられたんですね!
僕も、「映画的日記」の映画カッパさんのレビューを拝見して
観てみたんですよ。受け売り。

相対性理論や地球外生命体、宗教、そして科学者のタテ社会
などについて考えされられる、おもしろい作品ですよね。
特に宗教(キリスト教)については、
欧米では日本人の理解を超えた概念があるので
とても興味深いものがあります。

カトリック教徒などは、人間も宇宙も神が造りたもうたと言い、
科学者は化け学的に力学的に生まれたものとして解明しようとする。
でも、僕は行きつくところ人には理解できないものなのではないか
と思っています。
それを「神」と呼ぶのか「まだ解明されていない科学」と呼ぶのかは
自由でしょう。

この映画は、人間にはわからないことがたくさんあって、
いつまで経ってもわからないかもしれないけど、
それを理解しようとすることに価値があると言いたいのではないかと思います。

20代のジョディ・フォスターが観たければ、
『ホテル・ニューハンプシャー』、『告発の行方』、『羊たちの沈黙』あたりでしょうか。
『エリジウム』では悪役でしたが、もっとコワイなおばはん演技が観たければ
『おとなのけんか』はいかがでしょう?
No title
こんばんは。

結構前に観たので記憶はあやしいのですが、面白かったです。

>ゼメキス監督が偏りすぎないように内容を変えていったらしい。

そうなんですね、だから科学も宗教も偏っていない描き方が
なされていたのですね。

これを観終わった時に思ったのは、宇宙に対して性善説の立場で
撮られた作品だなということです。
エイリアンが襲ってくる作品じゃないってことですね。
宇宙
アナタなら宇宙に行けます。必ず。

「人間が言葉を用いる以上、言葉が力を帯びることは避けられないはずだ。
それを受け入れず「科学は正しい」とするのは誤っているのではないだろうか」

言葉とは、精神世界ということでしょうか?「正しい」とは?

いつもながら、この「コンタクト」、観たくなりました。
宗教とは、信じるということであり、事実がどうか、つまりは科学がどうか、ということとは別問題だと考えていた私なのです。概念の範疇にあるものとは?

もう、また理屈癖が出てきちゃったじゃないですか!

ありがとう。
Re: No title
つかりこさん、コメントありがとうございます。
そうなんです!早速観たんです!
ジョディ・フォスターへの興味と宇宙への興味から速攻で観ました!
本当に紹介ありがとうございました。
私も今映画カッパさんのレビューを拝読しました。
カッパさんも好評価なんですねー。
私もとっても面白かったと思います。

> カトリック教徒などは、人間も宇宙も神が造りたもうたと言い、
> 科学者は化け学的に力学的に生まれたものとして解明しようとする。
> でも、僕は行きつくところ人には理解できないものなのではないか
> と思っています。
> それを「神」と呼ぶのか「まだ解明されていない科学」と呼ぶのかは
> 自由でしょう。
>
> この映画は、人間にはわからないことがたくさんあって、
> いつまで経ってもわからないかもしれないけど、
> それを理解しようとすることに価値があると言いたいのではないかと思います。

私も同感します。
「理解しようとすることに価値がある」
宇宙うんぬんのことだけに限らず、この精神には感銘を受けるところがあります。

> 20代のジョディ・フォスターが観たければ、
> 『ホテル・ニューハンプシャー』、『告発の行方』、『羊たちの沈黙』あたりでしょうか。
> 『エリジウム』では悪役でしたが、もっとコワイなおばはん演技が観たければ
> 『おとなのけんか』はいかがでしょう?

またまたありがとうございます!
『ホテル・ニューハンプシャー』はこないだの『サイダーハウス・ルール』のときにご紹介していただいた時から観たいと思っているのですが、現在、目下レンタル店を捜索中です。一番行くところには置いてないという残念な結果です。必ずやどこかでレンタルしてこようと思っています。
『告発~』と『羊たち~』はいずれも昔観たことがあります。ただ前者のほうの記憶がほぼありません。
なのでまた観ようと思います。
後者のほうは、やっぱりさすがな映画だと思います。そしてジョディ・フォスターが綺麗です。
『おとなのけんか』は映画自体も知らなかったので、チェックしておきます!!!
Re: No title
バニーマンさん、コメントありがとうございます。
そして、こんばんは~。

> これを観終わった時に思ったのは、宇宙に対して性善説の立場で
> 撮られた作品だなということです。
> エイリアンが襲ってくる作品じゃないってことですね。

確かにそうですねー!笑
エイリアン襲ってこなかったですよねー。
スピーシーズみたいに、種も植え付けにこなかったですし。
全編通して、ほぼ「ヴェガ人が悪なのか?」と考えさせる描写はなかったと思います。
観ていて、おそらく「いい宇宙人」だと思ってました。
Re: 宇宙
あかりちゃん、コメントありがとうございます。

> アナタなら宇宙に行けます。必ず。

ありがとうございます!
宇宙から地球も見たいし、オーロラも見たいし、宇宙遊泳もしてみたいし、ああ、死ぬまでに行きたいものです!

> 「人間が言葉を用いる以上、言葉が力を帯びることは避けられないはずだ。
> それを受け入れず「科学は正しい」とするのは誤っているのではないだろうか」
>
> 言葉とは、精神世界ということでしょうか?「正しい」とは?

文字通り「言葉」です。
記事内の例で言うなら、「理研」とか「雑誌Nature」は科学の組織や雑誌であっても、だからといってそれが正しいわけではないはずです。でも、「科学」とはいたって別次元にありそうな「権威」や「信じる」とかの意味を持って独り歩きしていると思います。
言葉がそのまま理解されるなんてことはありえないと思っています。それぞれの概念があるはずだし、状況や性格、関係性などにも左右されるからです。
その意味で、「科学だから絶対だ!」「科学だから正しい!」というのはおかしいと思います。
それは、「人間の営みとしての科学」というのを忘れているような気がするからです。

> いつもながら、この「コンタクト」、観たくなりました。
> 宗教とは、信じるということであり、事実がどうか、つまりは科学がどうか、ということとは別問題だと考えていた私なのです。概念の範疇にあるものとは?

ありがとうございます!
本当に面白かったですよー!
なるほど、なるほど。
宗教が信じるという次元にあるというのはわかります。
やっぱり本来のスタート地点はそうだったのではないかと思っています。
「死んだらどうなるんだろう?」とか「何で私は生きているんだろう?」とか考えるにあたって、その創造主などとの対話を目指したものが宗教だと思っています。
でも、宗教革命やガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」などはそれもまたその「宗教」とは違うところにもあると思います。
地位を守るため、信じてきたものを否定されたくない、など権威や人間の信じたいという気持ちなどが影響しているような気がして、それもまた「宗教」とは少し異なったところにあるとも思います。
私は「神」のような存在がいないと否定する根拠を持っていません。
でも、いろいろなところに「神」がいるように、それを作ったのもまた人間。
その意味で、「神」もまた人間の考えた概念の範疇にすぎないのでは、と思っています。
「神」なるものがいないとは言えないが、いるとも言えないはず。
その存在が目に見えようが、そばに感じれようが感じれまいが、人間が考えた存在としての神はまた必ずしも絶対ではないはずだと考えています。
「神もまた概念の範疇」という時の「神」は人間が考えた「神」のことです。
つまり、宗教も科学も共通するところがあると思います。
いずれも、言葉が力を持ち、他の次元で意味を持ち始めることがあるという点です。
どうでしょうか?

相変わらず伝わりづらくてすみません。
是非とも
ちょい若おやじさん
『おとなのけんか』ぜひ観て下さい!!
ある意味『羊たち~』より怖いかも ?
Re: 是非とも
映画カッパさん、コメントありがとうございます。

> ちょい若おやじさん
> 『おとなのけんか』ぜひ観て下さい!!
> ある意味『羊たち~』より怖いかも ?

『羊たち~』より怖いんですか???
それは観なければ…
でも怖いですねえ。

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