ちょい若おやじの映画と読書の記録

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"Words can't describe how it feels flying through an aurora. I wouldn't even know where to begin..."

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映画レビュー#28 チョコレートドーナツ [洋ドラマ] 2014.9.27追記あり

2014.09.27 (Sat)
2014年9月24日元記事アップロード日
2014.9.27追記部分は本記事最下部「重大な記憶違いが発覚」より。

チョコレートドーナツ [DVD]チョコレートドーナツ [DVD]
(2014/12/02)
アラン・カミング、ギャレット・ディラハント 他

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[説明]
公開:2012年9月14日(アメリカ) *日本公開:2014年4月19日
上映時間:97分
原題:Any Day Now
監督:トラヴィス・ファイン Travis Fine
脚本:トラヴィス・ファイン Travis Fine ,
    ジョージ・アーサー・ブルーム George Arthur Bloom
出演:
アラン・カミング Alan Cumming ― ルディ・ドナテロ Rudy Donatello
ギャレット・ディラハント Garret Dillahunt ― ポール・フラガー Paul Fliger
アイザック・レイヴァ Isaac Leyva ― マルコ・ディレオン Marco DeLeon
フランシス・フィッシャー Frances Fisher ― マイヤーソン判事 Judge Meyerson
グレッグ・ヘンリー Gregg Henry ― ランバート Lambert
クリス・マルケイ Chris Mulkey ― 州検察官ウィルソン D.A. Wilson
ドン・フランクリン Don Franklin ― 黒人弁護士
音楽:ジョーイ・ニューマン Joey Newman

出典:
wikipedia チョコレートドーナツ , Any Day Now (2012 film)
allcinema チョコレートドーナツ
日本版公式HP:映画『チョコレートドーナツ』オフィシャルサイト (ビターズ・エンド)
[あらまし]
―1970年代後半―
事実を基にした作品。
夜の街、少女の人形を抱えた男の子が1人歩いている・・・。
ゲイバーの人気ショーダンサーであるルディのお店に弁護士の男性ポールが現れた。お互いに一目ぼれした2人であったが、ゲイであることを隠さないルディに対して、ポールはひた隠しにして生きてきた。1970年代のアメリカにおいて、「ゲイである」ということはタブーであり、差別や偏見の眼差しを向けられるということを意味していた。
ルディの隣人の女は重度のドラッグ中毒者であり、毎晩のようにドラッグや男漁りをしていたが、彼女にはダウン症候群(以下、ダウン症と略す。)の少年マルコがいたのであった。ある日、ルディは誰もいないマルコの家で、たった1人でいるマルコと出会う。ルディは「母親を探す間だけ」とマルコを連れて、ポールの元に相談に行くのだが、ゲイであることを隠すポールからは最初邪見に扱われてしまう。実は、マルコの母はドラッグ中毒で刑務所に入れられることとなり、マルコは施設への入所が決められていた。
ルディはポールの協力を得て、マルコの母親から「臨時保護者」としての権利を譲渡されることに成功する。
そうして、ゲイカップルとダウン症の少年による「家族」となるのであったが・・・。

ゲイであるということ、ダウン症であるということ、差別や偏見、「家族」であるということ、愛するということ、法律という制度・・・
様々な社会問題をゲイカップルとダウン症の少年による「家族」を目指すという営みを中心に、心にストレートに投げ込んでくる作品。
自身もバイセクシュアルであると公言しているアラン・カミング(『スパイ・キッズ2』『X-MEN2』)の迫真の演技、心に響く歌唱は観客の何かに訴えかけるのではないだろうか?
97分という短い時間で、観客たちは一体何を感じ取るのだろうか・・・?
悔しくて、温かくて、美しくて、微笑ましくて・・・。
(文責・管理人)


[レビュー]
泣いた・・・。
とにかく泣いた作品だった。
悔しくて、温かくて、微笑ましくて、美しくて、とにかくいろいろな要素が相まって涙が止まらなかった。

本作のことは、同じfc2ブロガーの方で、当ブログのリンクに貼らせていただいている、管理人さとちんさんの運営している「202日記」さんの本作の感想を見て初めて知った作品。
管理人にとって、本作を観に行きたいと思わせていただいた、さとちんさんに感謝、感謝です!

202日記
該当記事:チョコレートドーナツ

というわけで、偶然にも近所の劇場である横浜ニューテアトル(公式サイト)でギリギリ上映をしているということで、慌てて鑑賞に行った。
いやあ、間に合ってよかった。
今回は、映画談議に花を咲かせることのできる、というか付き合ってくれる、数少ない友人と2人で鑑賞。

従って、今回のレビュー構成は、
 ①何が悔しかったのか
 ②ゲイに対する管理人の見方 ―ルディとポールの心情から
 ③「家族」に対する管理人の見方 ―ルディたちの「家族」とマルコの母親
 ④「性のグラデーション」 ―友人に言われたことから
 ⑤原題Any Day Nowについて

以上の5点から心の整理をしていきたい。
何分、感じることが多かったことと、観終わって4日が経過した今も頭の中がぐちゃぐちゃと煮え切らない思いが収まらないので、今回もまた伝わりにくいことになるやもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。
また、細かいシーンを忘れつつもある。
それでは、以下ネタバレしながらレビューをやってみることとする。

何が悔しかったのか
とにかく、ほぼ最後まで差別されて、応援されなくて(一部は違う)、家族として認めてもらえなかったこと。
そして、そんな差別的な理由を中心に裁判が進められ、それが根拠となって最終的にマルコが死んでしまうというオチ。

率直に、彼ら3人の「家族」を見ていると、
「ただ3人で暮らしたいだけ」
に思えた。
それだけに、3人を引き裂いたものが「差別」「法律」であったことに対して、何もできないことに対する悔しさがこみ上げてきたのかもしれない。

素朴に感じたことは、
彼ら3人に対してあれほど差別的に反対をつらぬいていた相手側の弁護士とポールの同僚のモチベーションは何だったのか、ということ。
見る限り、直接3人が彼らに危害を加えるわけでもないし、バカにしたわけでもなく、そして対してお金にもなりそうもなかっただけに、なぜあそこまで邪魔をしたのか?

物語の終わりに、ポールが裁判関係者(差別的に反対していた人など)に対して、マルコが死んだことを伝える手紙のシーンがある。
印象的だったのは、相手側の弁護士がその手紙を読んでいる後ろに彼の子供たちが映っていたこと。
観た方はお分かりかと思うが、かなり差別的に尋問をしていた弁護士である。
同じように家族がいて、子育てをしている姿が垣間見えるシーンであったように思える。
そんな彼でも、「ゲイ」「ダウン症」といったことに縛られて一方的に差別の眼差しを向けていたのだった。
もしかしたら、「ゲイ」や「ダウン症」といった差別意識が、相対的に「自分たちは『普通の』『幸せな』『家族』である」といった安心感をもたらしていたのかもしれない。

差別や偏見が根強いのは、この相対的に掴み取る「幸せ」意識にあるように感じてしまった。
何が「幸せ」で、何が「本当の家族」かなんてわからないのに、いや、わからないからこそ、相対的に人を貶めたいのかもしれない・・・。

この辺りもまた管理人にとっての「悔しさ」であったのだろう。
何もかも差別で追いやられるルディたちを見ていて「悔しさ」を感じつつ、同時に、ルディたちを追い込む弁護士たちを見ていて「悔しさ」を感じたのだろう。

1970年代の欧米文化に精通しているわけではないが、この時代のイメージとしては「オイルショック」やら「泥沼のヴェトナム戦争後」やら何かとアメリカが変化しようとしていた時代というイメージがある(もちろん一概には言えないが)。
変化というのは全てが上手く進むことではなく、それだけごちゃごちゃとした不安が蔓延しているような気がする。
それだけに「差別」というものは根強く残ってしまうのかもしれない、と感じた。

さて、本作の仕掛けとして観客の心に「悔しさ」のようなやりきれない感情が残るように工夫が施されていたように思う。
冒頭のシーンがラストのマルコの死のシーンにつながっていたことや差別されるルディがその現実の中で対処を当たり前のようにしていく姿、何度も何度もデジャブのように使われる裁判のシーンなどなど・・・。
本作ではあまり彼ら3人が過ごしていた日々は描かれない。8ミリカメラの映像が途中ではさまれるのだが、ほぼそれだけである。それだけに、管理人は3人が「家族」となっている映像を見たかったのだろうし、心で期待していたのだろう。
それがすべて最後までそうはならなかったのである。もどかしさが残る仕掛けであったと思えた。


ゲイに対する管理人の見方 ―ルディとポールの心情から
管理人の少年時代、近所には女装をしているゲイの方とお話ししていたし、中学時代に同級生にもゲイはいた。
はっきり言って割と何とも思っていない方だと自分自身思っていた。
しかしながら、本作を観ていて、当初ルディとポールの肉体的絡みのシーンについては「生臭さ」「汚さ」みたいな感覚を当初抱いている自分がいた。
その感情は弁解の余地はなく、そう感じてしまったのは事実である。
その感覚を作ったのは、もしかしたら見慣れていない光景であること、毛が多いことからくる不潔感みたいなものなのかもしれない。
最終的に、彼らがベッドでいちゃこくシーンから「愛」やら「美しさ」みたいなものを感じ取るようになったのだが、最初に感じたものは事実なのであった。
そう思うと自分自身まだまだ知らないことが多い世界であるように思うし、そしてそれは「知らない=嫌い」といった、ものさしを持っている自分がいるようにも思えた。
この感覚は映画の中でルディたちを差別する人たちと何ら変わらないのでなないだろうか。

決して「差別」を正当化したいわけではない。
誰にでも「差別」という種が存在しており、そのことに気付かずに人を傷つけていることがあるのではないか。
一体、どうしたらいいのだろうか。意識していないと思い込んでいるからこそ、タチが悪い・・・。
自分への怒りと限界、諦め、様々な感情が渦巻いていて上手くはまとめられない・・・。

さて、ルディとポールの2人の心情についてだが、この2人が同じ「ゲイ」ではないことは明らかであった。
カミングアウトしているルディ、カミングアウトしてこなかったポール。
どこか女らしさを漂わせるルディ、男っぽいポール。
2人の「ゲイ」観も異なるように思えた。

今の管理人の視点としては、どうしてもカップルの間に「男役」「女役」を当てはめようとしているようだ。
つまり、ルディが「女房」、ポールが「旦那」に当てはまるように観ていたと思う。
もしかしたら、そんな性別的なしがらみや分担を超えたつながりなのかもしれないが、子育てや家族としての仕事分担という意味で、旦那役と女房役の必要性を感じているからなのかもしれない。
あるいは、自分の「知っている」物事に当てはめようと必死になっているのかもしれない。
本作を鑑賞した方は2人の関係性に「男と女」を持ち込んだのだろうか???

いずれにしても、2人がマルコを通して意見をぶつけあったり、慰めあったり、ルディの夢を応援したり、快楽を肌で感じあったり、気を遣ったりという姿から管理人にとっての「愛(?)」を感じた。とりわけ「ゲイ」であるということで悩まされてきた2人だったからこそ、お互いの存在が「僕が僕であるために」(by尾崎豊)のようなアイデンティティをも感じた。
2人の間にある「愛」からは「男女」の間には作ることのできない「愛」さえもあるように感じた。


「家族」に対する管理人の見方 ―ルディたちの「家族」とマルコの母親
「家族」って一体なんだろうか???
本作を観ながら思い浮かべたのは、アメリカのドラマ『フルハウス』だったり、日本のドラマ『人にやさしく』だったり・・・。
感情的には、「家族」というものが「自分を生きていかせる存在」であればいいと思いつつも、それだけにそれを運営させる法律や社会的意識みたいなものが邪魔もしているように感じた。

本作で描かれるルディとポール、マルコは「家族」であるように感じた。
そして、ドラッグ中毒に溺れるマルコの母とマルコは「家族」でないように思えた。
しかしながら、マルコの母親がマルコを自分なりに気遣うシーンであったり、最終的にマルコを自分の元に置こうとした(もしかしたら、保釈されるからかもしれないが)シーンであったり、マルコの母が文字通り「母」をしようとした姿を感じた。
そして「血縁」というものが法律において重視されるという現実。
何が何やら難しい。

さて、この項目で、1つ触れておきたいのがマルコについて。
本作は「ゲイカップル」だけではなく、ダウン症の少年が登場することで、物語の思慮深さを重層的に表現していると思う。
「ゲイであること」「ダウン症であること」「血のつながらない家族であること」「ダウン症の子供を持つということ」などなど、少なくとも管理人の経験値の中では周囲にいなかったし、日頃考える機会は少ない。

印象的だったマルコに関わるシーンを箇条書きにしてみたい。

・マルコがルディに「ハッピーエンディングにしてね」とお願いするシーン
・マルコが「おうちはここじゃないよ」と言うシーン
・マルコが迎えを信じて荷造りするシーン
・マルコが空腹を我慢しているシーン
・マルコが楽しそうに笑うシーン
・マルコが踊っているシーン
・マルコの授業参観のシーン
・マルコが・・・

枚挙にいとまがないが、いずれにしても、彼は誰かに「愛されたかった」し「愛したかった」し、それを感じたかったように思えた。そういう意味でルディとポールは「親」であったし、ルディたちにとっての「子ども」でもあった。

なぜだろうか。
マルコが出てくるシーンの大半は心が温かくなるようで、心が締め付けられるような気持ちになり、涙があふれてきた。
もしかしたらこれこそ「偏見」なのかもしれない。
ダウン症が家族にいないから安易に言えることなのかもしれない。
それでも、マルコの笑顔や人形を大事そうに抱える姿などから、温かい優しさを感じたのであった。

管理人は母親の影響から、少年時代からダウン症の人たちと接する機会がしばしばあった。
マルコのように素敵な表情を浮かべる記憶があるが、同時に、嫌なときの表情もまた直線的であったような記憶がある。
今の管理人の感覚としては、ダウン症の子供であっても、それは自分にとってかけがえのない「子ども」であるという点で喜ばしいと感じると思う。
そう思うが、はたして実際にはどうなのだろうか。
偽善のようだし、実際にはどう思うかはわからないし、どう思うかは考えたってしょうがない。
本作を観て感じたのは、まだまだダウン症の子供を育てるということについての理解が自分自身にたりない、ということ。
どんな制度があって、どんな団体があって、どんな暮らしをしているのか何も知らない自分がいる。
そんな自分がとりわけ悪いとも思わないが、しかし良いとも思えない・・・。

本作のマルコから感じさせられたことは多いし、整理がつかないし、今後の自分の将来に何か影響を与えているような気もした。
皆さんはマルコから何を感じただろうか???


「性のグラデーション」 ―友人に言われたことから
これについては、映画を観終わった後に友人に対して、管理人が「2人の濡れ場が最初、不快感のようなものを感じた」という感想を伝えたときに、紹介された考え方である「性のグラデーション」ということについて少しばかり。

誰しも、同性に対して愛を感じる(同性を好きになる)可能性が内在化している、みたいな考え方であったと思うが、管理人にひっかかったのは「グラデーション」ということ。
管理人あいさつにも書いているのだが、常々、「境界線」というものが曖昧な感覚に興味を魅かれてきた。
どうしても「白黒」はっきりつけた方が、やりやすいことは多いし、なんだって境界はひけるのかもしれない。
それでも、どこか曖昧な感覚にはそそられるのである。
曖昧だからこそ見えてくるようなものがあるような気がして・・・。
本作において「法律」や「差別」「偏見」「慣習」などがルディたちとの境界線をひいていたように感じた。
ポールが裁判中に、

 法律から零れ落ちた子供(マルコ)の人生

といった表現をしていたように記憶しているが、そのセリフも併せて何か感じるものがあった。


原題Any Day Nowについて
まず邦題の「チョコレートドーナツ」について。
確かに物語の中盤、チョコレートドーナツを好物だとおいしそうに食べるマルコのシーンは、3人がつながる象徴的なシーンであったと思う。
ドーナツの丸い形状を考えて、「始まりも終わりもない」みたいな曖昧な感覚を味わえたが、でもそれはちょっと無理こりすぎるような・・・。
「チョコレートドーナツ」だと「家族って何?」みたいなものが全面に押されてくるような気がするが、本作はそこだけがテーマではないだろう。

一方、原題のAny Day Nowについて。
英字郎の「any day now」によると、

 今すぐにでも、いつでも

とのこと。

エンディングでルディが女装せずに「ルディとして」歌う歌“I Shall Be Released”の歌詞の一部である。
本当にルディ役のアラン・カミングの歌声は心の琴線を揺らすのだが、それは置いておいて、原題の雰囲気がイマイチ理解できていないので、どっちがいいか断言はしづらい。
何となくぼんやり理解していること、映画の最後のシーンに出てくる言葉であることからして、原題のほうがいいのでは???

でも、ありがたいことに、邦題というものがあるおかげで、こうして原題の含意を感じようとする営みがあるような気がしてちょっとありがたい。

さて、このAny Day Nowについて考えるにあたって、youtubeよりアラン・カミング版の同曲を添付。

もともと、同曲はボブ・ディランが作詞作曲した曲。
同曲の、

 Any day now, any day now
 I shall be released

の部分なのだが、これはどう解釈するのがいいのか。
歌詞すべてふくめ、この歌詞の解釈には様々あるらしい・・・。

管理人が本作から感じるのは、2つ。

①「いつでも」という訳に照らして、「いつでもいるということ」に託して
I shall be releasedにつながる上でのAny Day Now

1つ目は、差別や偏見で偽物と見られたルディとポールの「愛」やルディたちの「家族」の「愛」について想起させるような雰囲気ではなかろうか。少なくとも、管理人は彼らが純粋に「愛したい、愛されたい」といった感情を感じたし、それが「そばにいること」であるようにも感じた。そして「そばにいること」は決して肉体的な、物理的なものだけではない、といった感覚も抱いたので、この解釈にしてみた。

2つ目は、まず、一体何から「解放 released される」のか、ということから考えた。
それは、本作では、「差別」や「偏見」をもった周囲からなのかもしれないし、それに縛られざるをえない自分たちからなのかもしれない。はたまた、彼らのような人たちの営みがあってこそ、徐々に何かが変わっていくという意味を含んでいるのかもしれない。
それが「今すぐに any day now」解放される、といった願いとか怒りとかいろいろな感情を含んでいるような気もした。


おわりに
ここまでお付き合いいただいた方ありがとうございました。
色々考えさせられた映画でした。
美しく、温かく、悔しい、そんな映画でした。

残念なことに、この記事を書いている今に至るまで観終わってから数日が経過しているので、細かな反芻ができていない。おそらくDVD購入の流れの作品なので、その時に改めて反芻しようと思っているところ。ただ、劇中でとにかく印象に残るセリフがあるので紹介しておきたい。それはマルコが施設に送られることに対して、ルディがポールに語る一節。

 マルコは悪くないのに、
 これ以上辛い思いをするなんて・・・


それは自分自身に対しても言っているようで、でも、何よりルディがマルコのことを想っている言葉のような気がして心に残っている。

他にも劇中歌として使用される歌はどれも、アラン・カミングのどこか心に入り込んでくる歌声とともに、本作を味わい深いものにしているだろう。



今まで、自分は「無知の知」を知っているみたいな、ソクラテスみたいなことを勝手にかっこつけて思っていたが、実際は、「無知の知の無知」という感じ。
本当に何も知らない。知らないことだらけだ。
わかったような顔をして見失っていることがまだまだ多いのだろう。
これからもこんな映画に出会えることを願ってやまない。
今回のところはこのあたりで・・・。

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2014.9.27追記重大な記憶違いが発覚
大変な誤解をしていることに気付いた。
それは、記事内の「原題Any Day Nowについて」のところで、

 「エンディングでルディが女装せずに・・・」

というふうに書いているが、正しくは、

 「物語の途中で・・・」

である。
エンディングで歌われていた曲は、"Love Don't Live Here Anymore" であり、全然物語のエンディングの捉え方が変わってくると思われる。
なお、この"Love Don't Live Here Anymore"の元ネタは、
Rose Royceというアメリカのソウルグループ(1973年から現在に至るまで活動中)が、1978年にリリースした曲とのこと。
出典:wikipedia Love Don't Live Here Anymore , Rose Royce

上のyoutube動画部分はエンディングにかかる曲なのだが、この動画の終わり以降もエンドクレジットに背景を変えて、歌自体は最後まで歌いきる演出になっている。

マルコが死んでしまったことについて悲しげに、そして優しげに歌うような表情を浮かべているように感じる。
というわけで、興味のある方は、下記にRose Royce版の歌詞が掲載されたページのURLを貼っておくので、ご覧になってください。
なお、大手「歌詞専用ウェブサイト」のメトロリリック(wikipedia メトロリリック)に飛ぶようになっている。

Rose Royce - Love D'ont Live Here Anymore Lyrics | MetroLyrics

本作の場合、マルコが死んでしまっているので、"Love D'ont Live Here Anymore"は、
「愛がもうここにはない」というよりは「愛(する人)がもうここにはいない」といった解釈をしてみた。

他にも、たくさん挿入される歌は本作の比喩であったり、心情の代弁であったりするようなので、そのあたりもっと思い入れながら観てみるのもいいと思う。

大変な間違いをしていたので、修正も含め、追記として書いておいた。
2014.9.27 管理人・ちょい若おやじ
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コメント

No title
大作ですね。
いえ、映画ではなく、ちょい若さんの記事が。
ひとつの作品からここまで深く考察されるなんて
私には出来ないことなので頭がさがります。

この作品を観てから日が経ちますが
もう一度何が一番悔しかったかと思い返すと
法律の非情さに対してよりも
ポールの同僚ともう一人の弁護士が一番腹立たしいですね。
人は自分の理解の範疇を超えるものを嫌悪しがちですが
嫌悪はしても人の幸福まで奪ってはいけないと思いましたよ。

あ!「フルハウス」私も大好きなドラマでした。
Re:さとちんさん
さとちんさん、訪問及びコメントありがとうございます!!!

頭を抱えるのが趣味、という奇妙奇天烈な毎日を楽しんでいる次第です。
長いだけでまだまだですが、お付き合いいただいてありがとうございました。

> 法律の非情さに対してよりも
> ポールの同僚ともう一人の弁護士が一番腹立たしいですね。
> 人は自分の理解の範疇を超えるものを嫌悪しがちですが
> 嫌悪はしても人の幸福まで奪ってはいけないと思いましたよ。

本当に、あの2人何だったんでしょうかね!
色々後付で考えましたが、何を考えても、やっぱり苛立たしい。
「嫌悪はしても人の幸福まで奪ってはいけない」
素敵な指摘ですね^^
心に刻んでおこうと思います。
ちょっとだけ相手を想ってみるということが大切なのかもしれないなあ、と思いました。

> あ!「フルハウス」私も大好きなドラマでした。
なんか、うれしいです!!!
最近、ヨーグルトのCMにおやじ3人が集合したみたいですよ~!
http://www.youtube.com/watch?v=xN86qenUW-M
深い
こんばんは。

ちょい若おやじさんは、自分の心情を深くみつめ、確認しようとする。その真摯な、まっすぐな思いに、打たれました。

「そう思うと自分自身まだまだ知らないことが多い世界であるように思うし、そしてそれは「知らない=嫌い」といった、ものさしを持っている自分がいるようにも思えた。
この感覚は映画の中でルディたちを差別する人たちと何ら変わらないのでなないだろうか。」

自分も、差別的感覚は無いほうだと自覚していますが、さて、どうなのか、この映画を見て考えてみたいと思いました。
理解の範疇を超えるのか?

もうちょっとしたら、レンタルできるかしら~
映画を見てみて、また、この記事を読ませてもらいたいと思いました。
Re: 深い
レインボウさん、こんばんは。
コメントありがとうございます!

そう言っていただいて、光栄です。
自分のことを理解できていないからこそ、あがいているお年頃でございます。
それの一助を映画が担っているという感じでいます。
根が真面目なんですかね???笑

> 自分も、差別的感覚は無いほうだと自覚していますが、さて、どうなのか、この映画を見て考えてみたいと思いました。
> 理解の範疇を超えるのか?

なかなか、自分のものさしって知っているようで知らないことが多いような気がします。
もしかしたら、知らないうちに人を傷つけ、傷つけられているのかもしれません。
だからこそ、自覚的に、こういった映画を通して振り返ってみるのは素敵な機会なのかもしれませんね。
もしかしたら、レインボウさんの理解の脇腹をくぐってくるような(?)映画かもしれません。

> もうちょっとしたら、レンタルできるかしら~
> 映画を見てみて、また、この記事を読ませてもらいたいと思いました。

今年中には、レンタル開始かと思いますので、よかったらぜひぜひ^^
もしご覧になったら、感想聞きたいです!
何の参考になるかはわかりませんが、レインボウさんも、きっと観終わった後悔しいような気分かとは思いますので、憂さ晴らしにどうぞお使いくださいませ~。
いつもありがとうございます!
観なければ…
素晴らしい記事ありがとうございます。
ワタシは、まだ観てませんが、
是非とも観たい、いや、
観なければならないと言う使命を
感じさせられました。
ご紹介、ありがとうございました。
Re: 観なければ…
映画カッパさん、コメントありがとうございます。

年内にはレンタル開始かと思われますので、ぜひご覧になってみてください。
様々な捉え方がありそうな映画です。
シンプルで、短く、ストレートに伝えてくる映画だと思います。
おススメの作品です!!!
No title
きっと、法制化とか常識化とかをいそがなきゃならない
2つの問題を糾弾しているんでしょうね。

また、それとは別にどんなトーンで胸を打ってくれるのか、
まだ観てませんので、DVDで観てみますねー。
Re: No title
つかりこさん、コメントありがとうございます。

> きっと、法制化とか常識化とかをいそがなきゃならない
> 2つの問題を糾弾しているんでしょうね。

劇中でこの「法」というものがキーになってきますよー!
79年ごろを描いた映画ですが、今の日本ではどうなのでしょうか?
そんなことを考えさせてくれる映画だとも思います。

> また、それとは別にどんなトーンで胸を打ってくれるのか、
> まだ観てませんので、DVDで観てみますねー。

DVD出たらぜひご覧になってみてくださいませ。
つかりこさんなら、きっと私とまた異なる視座があると思います。
つかりこさんにはどう映るんでしょう???
No title
DVDがレンタルされていたので観ましたよー。

同感同感!
マルコの表情が多くのことを語りますね。
泣けます!

2つどころではなく、たくさんの問題を糾弾した作品では?
●同性愛差別
●身障者差別
●偏向した裁判の有り方
●公営身障者施設の運営のずさんさ
●児童虐待
●黒人差別
・・・そんな感じでしょうか。

それらのすべてが破綻なく結びついて、ラストまできっちり並走しますね。
見事な脚本だと思います。

ただ、あまりにもメツセージのベクトルが一方向で、
けれんみがないのが惜しい。
同性愛のよくない面や、ダウン症患者の大変さなども描いて
もっと悩ませてほしいかったかな。

でも、名作に違いないと思います。

コメントありがとうございますm(__)m
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