ちょい若おやじの映画と読書の記録

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"Words can't describe how it feels flying through an aurora. I wouldn't even know where to begin..."

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映画レビュー#25 エリジウム [洋SF]

2014.09.09 (Tue)

エリジウム [DVD]エリジウム [DVD]
(2014/07/02)
マット・デイモン、ジョディ・フォスター 他

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[説明]
公開: 2013年8月9日(アメリカ) *日本公開:2013年9月20日
上映時間:109分
原題:Elysium
監督:ニール・ブロムカンプ Neill Blomkamp (『第9地区』2009年、監督・脚本)
脚本:ニール・ブロムカンプ Neill Blomkamp
出演:
マット・デイモン Matt Damon ― マックス・ダ・コスタ Max Da Costa
ジョディ・フォスター Jodie Foster ― デラコート長官 Defense Secretary Delacourt
シャールト・コプリー Sharlto Copley ― M・クルーガー Agent C.M. Kruger
アリシー・ブラガ Alice Braga ― フレイ Frey Santiago
ウィリアム・フィクナー William Fichtner ― ジョン・カーライル John Carlyle (CEO)
ヴァグネル・モーラ Wagner Moura ― スパイダー Spider
音楽:ライアン・エイモン Ryan Amon
出典:エンドクレジット、wikipedia エリジウム , Elysium (film)
日本版公式HP:エリジウム‐オフィシャルサイト (ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)
[あらまし]
―2154年―
人類は地球を荒廃させ、一部の超富裕層は地球外に建造した“エリジウム Elysium”と言う宇宙ステーションで優雅に暮らしていた。エリジウムでは、登録された人間だけが技術やそこでの生活を享受することのできるシステムが導入されており、そのシステムはエリジウムを建造したカーライル社によるマザーコンピュータによって管理されていた。そして人々は、医療ポッドと呼ばれる最先端医療技術によって、ありとあらゆる病とは無縁の生活を享受していた。
一方、大半の人々は荒廃した地球に暮らしており、かつての大都市であるロサンゼルスもその例外ではなかった。まるで中東のような街並み…。人々はスパイダーと呼ばれるギャングのボスの手配する宇宙飛行機に乗って裏ルートでエリジウムを目指していた。しかしながら、エリジウムの防衛長官デラコートは容赦なく撃墜していく。彼らの狙いは偽IDを使って、医療ポッドで治療を受けることであったが、その願いはほとんど叶うことはなかった。
地球に生きる1人の青年マックスは、幼少期に孤児院で育ち、そこで一緒に育ったフレアに「いつか君をエリジウムに連れて行く」と約束してきた。幼い頃から盗みを働き、孤児院の院長からは、「どんなに頑張っても私たちのような人はエリジウムにはいけない」「ただ、あなたはいつか何かを為す人。遠くへ行ってもあなたが住む地球のことを忘れないで」と地球の写真が入ったロケットを渡される。
そんなマックスは盗人としては「伝説」の存在となっていたが、2154年時にはカーライル社のドロイド工場で真面目に働くようになっていた。ただし、ドロイドたちによる超管理社会、マックスはちょっとしたジョークのつもりが命令違反としてドロイドたちに骨折させられてしまう。弁解の余地はない。治療のために混雑する病院に行ったところ、偶然ナースとして働くフレアと数年ぶりに再会する。
しかし、ある日マックスは工場での事故によって致死量の放射線を浴びてしまい、もちろん何の保証もないまま工場をクビにされてしまう。彼の命はもって後5日。エリジウムの医療ポッドなら完治させることが可能であることに望みを賭け、スパイダーの元にエリジウム行きの手配の交渉に出る。スパイダーからの条件は「エリジウム市民で地球で生活している者の脳みそのデータを奪ってくること」であり、マックスは電脳化手術とドロイド並に動ける器具を体に装着する手術を受ける。
マックスがターゲットとしたのは、自分をクビにしたカーライル社のCEOの脳みそ。
一方、エリジウムではデラコート長官の「本当にエリジウムを守るならば手荒なことをする必要がある」という価値観から、これまで自分を縛りつけてきた総裁に対するクーデター計画が秘密裏に計画されていた。デラコートの狙いはシステムをシャットダウンさせ、再起動時に総裁を自分に置きかえること。契約延長を狙うカーライル社のCEOとの利害が一致し、CEOは再起動プログラムを自身の脳に保存し、そのデータの引き出しはその保存者の生命と引き換えにするという徹底した秘密保持で、デラコート長官のもとへ飛び立とうとしていた。
地球から飛び立とうとしていたCEOをマックスたちが襲撃したのである。
戦場と化した現場でCEOは流れ弾に被弾し、死亡。しかしながら、重要なデータとは知らずにマックスは自身の電脳にデータを移行させることに成功する。エリジウムの再起動プログラムを保存してしまったマックス。デラコート長官の命を受けて性格に難ありの一流特派員M・クルーガーによって狙われることとなる。
マックスは、逃げる道中、フレアに匿われた際に、フレアには白血病末期の娘がいることを知る。最早逃げているだけではエリジウムへと行けないことを悟ったマックスは自ら捕まり、エリジウムへと連行される道を選ぶが、宇宙船にはフレアと娘の姿が。彼女たちは、M・クルーガーに捕まってしまっていたのである。
そして、いよいよエリジウムに向けて宇宙船は出発するのであった…。
クーデターを企むデラコート長官、飼いならされているだけでは収まらない狂犬M・クルーガー、重要なデータを持った「一非市民」マックス、娘の治療のために医療ポッドを目指すフレア、満を持して乗り込んできたスパイダー。
様々な欲望や希望が渦巻く中、マックスが取った行動とは?

『第9地区』(2009年)のニール・ブロムカンプによる監督・脚本作品。『第9地区』で描いた近未来の地球を思い起こさせるシナリオとそれを可能にするCG、美術。CGと実写の区別がつかないその映像の数々に、見入ってしまうのでは???
(文責・管理人)

[レビュー]
最初に、簡潔に感想を述べるならば、
かなりいい!!!
前作『第9地区』でも感じたニール監督の映像のすごさが本作でも爆発しており、そこが何より興味深い点を管理人に想起させてくれるのである。また、本作のラストから想起させられる点も多い。更に、マット・デイモン、ジョディ・フォスター、シャールト・コプリーのハマりっぷりも絶妙なので、満足する作品であった。

従って、今回のレビュー構成は、

 ①エリジウムとは?
 ②リアルってなんだろうか?
 ③ラストシーンから感じたこと
 ④俳優たちについて

以上4点について順を追って感想を書いていくこととする。


エリジウム Elysium とは?
まず最初に、本作のタイトルにもなっている“エリジウム Elysium”について少しだけ。あくまで、物語の整理として少しだけ。説明できるほど、知識がないので…。
[あらまし]にも書いたように、エリジウムとは近未来の超富裕層たちが生活している宇宙ステーション(?)である。とにかく超巨大で、そこはマザーコンピュータによって管理された空間であり、「市民」と認められた者のみが暮らすことのできる場所である。そして、その運営を司る政府があって、そこの政府の総裁たちの議席チームは、あくまで穏便に「非市民」へと対処するように考えている。ただ、現場で指揮をとる防衛長官のデラコートは、様々な手段を講じて侵入を繰り返す「非市民」たちにもっと強硬的な手段を講じる必要があると考えていた。
このエリジウムで暮らしている人間というのは、
「金持ち市民、政府、運営維持の業者」
といったところであろうか。

とにかく、なんでも揃うエリジウムにおける人間は、まるでPIXAR映画の『ウォーリー』(参考:映画レビュー#9 ウォーリー)に出てくるアクシオンに暮らす人々を彷彿させる。完全にコンピュータの管理なしでは生活していくことができないように見えるし、ほとんどの市民たちは「非市民」の存在になど思いをはせるようなことはないように見える。政府の役人たちも、深くは考える脳みそを失っているように見えるし、とにかく今の自分たちの身分が守られればOKというスタンスである。
デラコート長官が総裁に対して、

 あなたにはお子さんがいますか?
 子供のために、孫のために建造したこのエリジウムを守らなければなりません


と言うシーンがあるが、政府の役人たちとは対照的なデラコート長官の思想の是非は置いておいて、デラコートの存在は甘えきった人間たちを相対的にひきたててくれているように感じる。
管理人から見たエリジウムとは以上のような構造となっていて、本作におけるエリジウムの存在は「非市民」にとっては手の届かない、ルサンチマンと呼んでいいかはわからないが、そんな感覚にさせるような建造物である。
本作では、そんなエリジウムにある「医療ポッド」を目指す非市民とエリジウム内で起きる欲望が交差しながら、物語が進められていく。

リアルとは何だろうか?
「リアル」とは何だろうか?
こと映画における「リアル」とは一体どのようなものなのだろうか?
これについては再三、他の記事でも意見を述べてきたことではあるが、ここでもう一度管理人の思う「リアル」の演出についての考えを書いておく。
そもそも、何かを基準に「リアル」などと断定することはできないと思っている。
確かに、今こうしてレビューを書いている管理人にとってはキーボードを叩いている感触は「リアル」なものであり、ここに書かれている言葉たちもまた「リアル」なものである。
ただし、モニター上に映っているこの文字列は管理人とは遠く離れたものな気もしてならない。
このモニターの記事と管理人をつなぐものは、「自分が書いたもの」という認識に他ならない。
もちろん、データ上の記憶などによって、この記事が管理人のPCからアップされたものである物的証拠は出せるのかもしれないが、それを示したところで管理人の感じるリアルとはまた別物のような感覚になるだろう。

結局、何が言いたいかと言うと、映画という媒体を通して得られる感覚自体はリアルであっても、「再現可能」なリアルは存在しえないのではないだろうか、ということである。
ノンフィクション作品やドキュメンタリー作品などを例にとると、そこで映し出されている映像が「客観的な事実」であることはできない、というふうに思っている。監督たちスタッフのフィルターを通して映し出された作品であって、更にそれを観客のフィルターを通して観られることで、そこには「主観的な事実」しかありえないからである。
「ノンフィクションやドキュメンタリーがだめだ」とか言うことではなく、また、事実を伝えようとする営みそのものを愚弄するつもりなどはさらさらなく、「客観的な事実」は存在しえないということをただただ感じているのである。
むしろ、大切だと思っていることは、それを踏まえた上で、何を感じるのか、という点である。
だからこそ、1本の映画に対する感想や感覚が異なるのは当たり前だし、むしろそこが映画の魅力ではないだろうか?
どんなフィルターをもって自分が映画を観ているのかという振り返りは、自分自身を見つめなおす上でも非常に興味深い、と日々感じているのである。

と生意気に語ったが、もちろんそれも人それぞれの認識があるわけで、この感覚が絶対正しいとは思っていないこともわかってほしい。

話が脱線してしまった。
映画レビュー#5 GODZILLAにも書いたことだが、CGのリアル追求主義はすごいと思うが、なんでもかんでもCGにすれば「リアル」になる、といった感覚にはなれないのである。あくまでCGはその工夫の1つにすぎないのでは?
やっとこさ本編に戻るのだが、その点本作はすごいと感じているのである。
『第9地区』でも感じたのは、CGと実写の区別がつかないのである。
素直に「うわあ、すげえ」と感じた観客は多かったのではないだろうか?
実際に動くロボットや爆破シーン、手持ちのカメラワークなどの躍動感などによって「リアル」が表現されているからこそ、ここぞというCGの映像が映えるし、その境目がわかりにくくなっているように感じられた。
むしろ、この映画の製作などに詳しい方に聞きたいのは、
宇宙から見た地球、エリジウムの外観の自然の部分はCGなんですか???
ということ。本物にしか見えなかった!
この「本物」という価値観もまた管理人の「本物」認識に過ぎないという点もまた興味深い。
だって、宇宙飛行士として宇宙から地球を見たことはないのだから。
そして記憶の中の本物を思い出しているに過ぎないのだから。

いつものweblio辞書に載っている『大辞林』(三省堂、第3版)によると、エリジウムとは

 エリュシオン 【ギリシャ Ēlysion】
 ギリシャ神話で,神々に愛された人々が死後に住む楽園。ヘシオドスはここを「至福者の島」
 と呼び,ホメロスでは西の果ての野原などとされ,またウェルギリウスでは地下の冥界にある
 とされた。 〔ローマ神話ではエリジウム。フランスの「エリゼ宮」や「シャンゼリゼー」という名称
 はこの語にちなむ〕


とのこと。
ギリシャ神話には興味があるものの、詳しくない管理人には語ることはできないが、
「神々に愛された人々」
という点には何か本作における「エリジウム観」を補填してくれそうな説明である。
『第9地区』の監督ならではなのかわからないが、「神々に愛されていない人々」という認識を、アジア民に対して持っているように感じられた。エリジウムに住む人々は所謂白人、黒人であるのだが、そこには中東系の顔立ちやアジア系の顔立ちは見受けられず、むしろ地球は中東系やアジア系が目立つように感じられた。
これはおそらく、昨今のUSAの戦争に対する監督の価値観なのかもしれないが、その是非はともかく、今現在を生きる人々にとって、この構造は何か訴えかけるものがあったのではないだろうか?
様々なメディアを通して映像として観たことのある「イラク」を感じた要素であった。
そしてその「イラク」=「戦争」といった感覚にもなった。
更に言えば、「俺はエリジウムの市民なの???」という感覚にもなった。
何と相対的に見るかによって異なるが、その「イラク」から見れば管理人は「エリジウムの市民」なのかもしれないし、「俺」から見れば管理人は「エリジウムの非市民」なのかもしれない。
本作で描かれる「エリジウム」の何に幸せを感じるのだろうか?
というか何が「幸せ」なのだろうか?
これこそ、生涯の問答なのだと思う。


ラストシーンから感じたこと
マックスは自分の命と引き換えに全人類を「エリジウム市民」にすることに成功する。
ただし、マックスにとっての「非市民を市民へ」というモチベーションはフレアやその娘に過ぎなかったように感じた。
劇中で語られるエピソードになぞらえるならば、
マックス=カバ
フレア、娘=ミーアキャット
なのだろう。
マックスが死の間際にフレアに語るように、

 友達がほしかった

のである。
これだけではモチベーションとしては弱い気がするが、実際は、見返りの少ないことであっても、本人にとって見返りが大きければ、それを行うだけのモチベーションになりうるということを感じた。
最後までマックスはただひたすらに自分やフレア、そしてその娘のためだけにエリジウム再起動を目指すのである。
院長が「あなたはいつか偉大なことをする」と幼マックスに語るシーンがあるが、マックスにはその意識は見受けられない。この辺りがよかったのではないだろうか。
というか、この辺りにすがりたいのである。
以前もどこかの記事に書いたかもしれないが、宇宙という膨大な空間で自分自身が生きていることに意味があるようには思い難く、また宗教的な死生観を持ち合わせていない管理人にとっては「死んだら原子に分解されるのだろう、というか原子は見たこともないから、消えちゃうんだろう」くらいの認識をもっている。
それだからこそ、自分が生きたという目的がほしいのである。その目的は人それぞれであるし、そこに優劣はない。
管理人の毎日は楽しいのである。
そんな管理人からすれば、マックスみたいにフレアの中に自分を見出したのもまた、彼が生きた証であるように感じた。


俳優たちについて
マット・デイモンは『グッド・ウィル・ハンティング』のころから好きな俳優の1人で、最近だと『ヒア・アフター』の彼もますます好きになった。何がすごいのかはよくわからないが、何か味があっていい。
あの顔立ちがそう見せるのかわからないが、どこか影のある、頭のいい雰囲気。
お笑い芸人のパックンマックンのパックンと同じオックスフォード大出身だったはずだが、オーラがある俳優さんだなあと感じる。
ジョディ・フォスターはやっぱり「美カワ」だなあ。
あの方、この時の年齢が50歳くらいのようだが、とことんきれいな人。
長官としての怖さと女性としての美貌をひしひしと感じた。
ただ、あんな部下ができたとしたら、怖くて何もできないおどおど上司になりそうな気がしてしまったが・・・。
シャールト・コプリーは『第9地区』でしか見たことはないけれど、あの狂気な感じはすごい。
鬼気迫るというか何というか。若干雑魚キャラ臭がするところもまた、あの狂気が表現される所以なような気もする。
今後も彼の演技は見てみたい。


おわりに
今回は長かった上に、生意気にも映画を語り、更に生意気にも哲学っぽいことを語り、読みにくい文章構成になってしまったように思う。
あくまで、ちょい若おやじの感覚であることと、備忘録発進ブログであるので、温かな目でお願いしたい。
ここまでお付き合いいただいた方々、ありがとうございます。
いずれにしても、映画として今後のSF映画にも大きな影響を与えそうな、またこれまでの特撮映画を振り返させるような良作の1つではなかろうか。
役者さん見たさでも十分価値のある作品では???
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コメント

No title
大ざっぱに言って、日本でも確実に進行しつつある、
「格差社会」を糾弾した映画なのでは?
おまけに、「被曝」まで表現されているので、日本人にとっては
とてもインパクトのある作品になっていると思います。

●リアルについて
よく「よくできた映画や小説は現実よりリアル」と聞きますが、
それはCGや音や表情がリアルだという意味ではなく、
映画が伝えようしている概念がリアルだということだと思います。
現実はさまざまなことが複雑に絡み合って
「定理」らしきものを見せてくれますが、
映画はその複雑な要素を削り落として「定理」らしきものを伝えてくれる分、
現実よりシンプルにリアルが伝わるということだと。
その「定理」らしきものが正しいのか(=リアル)間違っているのか、
納得いくか(自分にとってリアル)いかないははまた別の問題として。

> だからこそ、1本の映画に対する感想や感覚が異なるのは
> 当たり前だし、むしろそこが映画の魅力ではないだろうか?

↑おっしゃる通りだと思います。
国によって、「赤」と聞いて、
夕日のオレンジ色を思い浮かべる人もいれば、
果物の鮮やかな赤を思い出したり、
織物のくすんだ赤を想像したりで、いろいろだそうです。
だから、ホントの意味でのリアルなんてつかみきれない。
各人の「主観」でしかない。
でも、そういう主観の差異や誤解が、映画や小説や絵画など表現物の
おもしろいところで、それが芸術なのだと思います。

手前味噌で恐縮ですが、過去にそのへんのことに
触れた記事を書いたことがありました。
↓よかったらどうぞ。
http://yurayuragusa.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
Re: No title
>>つかりこさん

つかりこさん、いつもコメントありがとうございます!
そして、勝手ですが、感覚的につかりこさんと同じようなものを感じているような気がしています。
当然、私からすれば、つかりこさんの方が「大先生」なんで、おこがましいですけど(笑)

この「格差社会」という言葉にはらむ、「誰と誰」を相対化するのかによって、問題の所在が変わってくると思っています。
焼き鳥屋のインテリおやじ風に言わせれば、「格差社会」と言った時点で「誰と誰」が想起されてくるかんじでしょうか。
言葉のもつ面白さ、ひいては映像のもつ面白さが大好きなので、一生楽しんでいけるだけの「つまみ」が私の周りにはごろごろ転がっているような気がしています(笑)

> おまけに、「被曝」まで表現されているので、日本人にとっては
> とてもインパクトのある作品になっていると思います。

この「被爆」という概念もまた、〈戦争〉という文字列が今の生活にどういう意味をもたらしているのかを考える上でも面白いです。
私のような世代にとっては(あまり世代論って好きではないんですが・・・)、「被爆」ということを意識することは少ないですし、〈戦争〉という事柄が何か自分とは遠い出来事のような感覚になりやすいような気がします。
3.11にしても、当時、横浜で経験しましたが、「被爆」について少し意識した程度でした。
あくまで、自分の生活圏内でどう影響するのか、ということへの意識程度だったのが正直な感覚です。
英語の過去形表現が〈今〉とは切り離して考えるような言語体系だと中学英語で習った記憶がありますが、そうだとしたら何か違うような感覚を抱きます。
私が思う〈過去〉と〈今〉というのは地続きであると思ってますし、その〈過去〉の色々があっての〈今〉なのですが・・・。
そんなことを「映画」が思い起こさせてくれたり、「あれ?〈戦後〉っていつから?」と考えたりさせてくれたりする機会を感じる時の「映画」という考え方も好きなんですよ~


>その「定理」らしきものが正しいのか(=リアル)間違っているのか、
>納得いくか(自分にとってリアル)いかないははまた別の問題として。

この辺りの感覚がまた、映画を好きな所以なのかもしれません。
だからこうして、つかりこさんのコメントを読んだり、他の方のブログ記事を読んだり、他の方と語ったりすることもまた、自分の中にはないような考え方や価値観を知れて面白いと感じています。

つかりこさんのブログ記事拝見させていただきました。
とっても面白いお店ですね!
一癖も二癖もありそうな店主なのに、味はシンプルって(笑)
横浜在住なので機会があったら行ってみようと思っています。
「言語論的転回」とか「言語記号論」とか好きな考え方なんですが、なかなかそれらを実感したり理解したりする領域にはまだまだ及ばない自分がいます。
それを「映画」をはじめとする芸術が意識させてくれることを「つまみ」として生きていければ楽しいかな、と思っています。

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