ちょい若おやじの映画と読書の記録

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"Words can't describe how it feels flying through an aurora. I wouldn't even know where to begin..."

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映画レビュー#9 ウォーリー [PIXAR]

2014.08.08 (Fri)

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(2009/04/22)
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[説明]
公開:2008年6月27日 *日本公開:2008年12月5日
上映時間:97分
原題:WALL-E
監督:アンドリュー・スタントン Andrew Christopher Stanton Jr.
脚本:アンドリュー・スタントン Andrew Christopher Stanton Jr.
声優:ウォーリー/モー製作;ベンジャミン・バート Benjamin "Ben" Burtt, Jr.
    イヴ;エリサ・ナイト Elissa Knight
音楽:トーマス・ニューマン Thomas Newman
製作: ピクサー PIXAR , ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ Walt Disney Pictures
出典:wikipedia ウォーリー

[あらまし]
時は29世紀、地球。人類のいない、荒れ果てたままの地球。ウォーリーというおそうじロボットは、終わることのない、地球に残されたゴミをスクラップする仕事をしていた。仲間ロボットも皆壊れていなくなったウォーリーの友達は1匹のゴキブリだけ。そんな日常に突如、ロボットのイヴが、ウォーリーの前にロケットに乗ってやってきた。ずっと1人ぼっち(ゴキブリではなく、ロボットとして)で暮らしてきたウォーリーは、その美しくも猛々しいロボットのイヴに一目ぼれをする。最初はウォーリーを相手にすることのなかったイヴであったが、自分の知らない地球のガラクタを集めるウォーリーの熱心なアプローチの甲斐もあって、徐々に打ち解けていく。そのころ、大気汚染や環境破壊をし尽くした人類たちは21世紀には地球を離れ、宇宙船アクシオンに乗って、終わりのない航海をしていた。それは当初、地球が復活した時に地球に戻るための一時地球外逃避であった。地球復活の確認として、イヴは送り込まれたロボットであった。イヴの目的は自生する植物を見つけること。なんとウォーリーは偶然、その植物を見つけていたのだった。それを見つけたイヴはその植物を体内に収蔵したまま動かなくなってしまった。ウォーリーはイヴを動かそうと試行錯誤をするものの一向に動く気配はない。そしてある日、ロケットによってイヴは回収されてしまう。しかし、なんとかロケットにしがみついてウォーリーはそのままイヴとともに、母船であるアクシオンに到着する。そこでウォーリーが見たものは、何も考えることのない、ひたすらに怠惰で肥満の人間たち、見たこともない様々なロボットたちであった。さて、いよいよ、植物がアクシオンの艦長のもとに届くのであったが、艦長補佐である船の舵の形をしたロボットであるオートによって、地球帰還は却下され、更には、植物は廃棄され、艦長は軟禁されてしまう。地球でクラスよりも快適な宇宙の旅を選んだ先祖たちの命令で、実質的な権限はオートに移譲されていたのであった。
人類は地球に帰ることはないのか?ウォーリーの恋は実るのか?
人類、ロボット、心、環境破壊、様々な社会問題を内包した、PIXARが贈るロボット恋愛CG映画。
(文責・管理人)

[レビュー]
まず最初に、管理人はPIXAR映画が大好きである。特に、このウォーリーは大好きな作品である。
CGと時折出てくる実写の人間を区別して用いることで表現する工夫などPIXARならではの表現力や遊び心が観ているものを飽きさせない作品に仕上がっている。子供向けでもあり、大人向けでもある本作。特に、大人が観ても何の遜色もない恋愛映画として成立していると思う。

本作において挙げられることとして、生きるということ、ロボットの感情の有無、友情と恋愛などなど数多くの視点があると思うがとりわけ、「生きるということ」「ウォーリーとイヴの性別」の2点に関わる感想を記しておきたい。
アクシオンの艦長(何代目かもわからないほどの年月がたち、見た目はデブで何も考えていない人間)が、地球帰還を却下するオートに対して次のようなセリフを言う。
  
  生活したいのではない、生きたいんだ

艦長たちのような地球の重力では満足には生きていけないような体の人類にとって、地球で暮らすことは困難極まりない。ただし、艦長は何も知らないアホなのである。ここが重要な点であるのではないだろうか。どう見ても地球に帰ることは困難が大きいように思える。地球も回復しているとは言い難い状態だし、肉体的な生命の維持がロケットの備蓄でかなったとしても、落ち着いたころに起きるであろう権力闘争や戦争、そして再び人類は同じ過ちを犯し、地球をゴミでいっぱいにしてしまうのではないか。
何も知らない艦長にとっては、そのようなことを想像することはない。あるのは好奇心のみ。
まさに子どもたちと同じように好奇心によって突き動かされ、そしてそれによる様々な問題が起きることもある、現に、地球帰還を決めたのは、艦長のみの行動であって、一部の人類は何も知らないまま、荒れ果てた地球に帰還することとなって物語は終了する。
子どもたちに対して親は何をしたらよいのか?
まだ子どものいない管理人にとって、その問題は想像するしかないものである。自分の子どもの好奇心に対して、親は何をするべきなのか、あるいは、何もしないべきなのか。
子どもに付き合って観に行った親世代はこの映画をどう捉えたのだろうか?
何も考えない劇中の人類たちと同様に、ぼーっと時間がたつのを待っていたのであろうか。
その有無や割合はこの際どうでもいいことなのだが(調べることもできないし、わかったところで何かしたいわけでもない)、ちょい若おやじ、としての視点では、やはり「リアルおやじ」になる時のことを想定して鑑賞する機会が多くなっている気がする。
少しだけ、ここで感じた管理人の思想としては、「子どもの好奇心に対して抑圧的なオートにはなりたくないな」というものである、ということだけ紹介しておく。やっぱり、世の中の父ちゃん母ちゃんって大変なんだろうなあ・・・。

さて、何度も観るほど好きな作品であるわけだが、特に何度観ても不思議なのは、ウォーリーとイヴの性別についてである。劇中で、どちらが男でどちらが女と示されるシーンはないし、ロボットなのでそもそも性別という概念もない。にも関わらず、管理人は「ウォーリーを男」「イヴを女」と観てしまう。イヴという名前の時点で女を意識したものであるかもしれない。なぜか、不器用で、泥臭いウォーリーが田舎でランニングを着て走り回る少年を彷彿させられる。また、美しくも猛々しいイヴは都会から転校してきた上品で、実ははつらつとした女子を思い浮かべてしまう。
こんなの観る人によって異なるわけであろうが、この無機質なロボットたちの恋愛とも友情とも取れる関係性は、ある意味共通性や共感性を持たせるものであるのではないだろうか。勝手に想像しちゃうのである。勝手にロボットたちに性別を割り振っちゃうのである。
鑑賞としてはもしかしたらPIXARの意図に外れているのかもしれない。性別のないロボットたちの友情、愛情をそのまま、に、言葉や文字をデジタルなやり取りのままに、何かの恋愛映画を感じるべきなのかもしれない。これはこれで面白いし、そこから何か見えてくるかもしれないが、どうしても性別を割り振ってしまう。
世間の皆はロボットたちに性別をどう割り振ったのであろうか、また、何を基準にそう割り振ったのだろうか?
気になるところである。

やはり、PIXAR映画は大好きである。「CGはだめだ」「子供だまし」など批判されそうだが、観ていて心が温かくなるというのはどうしようもない。
PIXAR映画のシリーズものに比べれば、もしかしたら知名度が低いのかもしれないが、本作はPIXAR映画の中でも良作だと思う。

今回は最近の関心事の「おやじ像」がかなり視点の中にあったし、それゆえにいつも以上に私的な感想文になってしまった。
この観るときによって映画の観方や感想が変わるところがまた、映画って面白い、と逃げるように本作のレビューのむすびとしたい。
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